ナポレオン20フラン金貨の歴史と規格を解説
| 英語名 | Napoleon 20 Francs (Gold Coin, Napoleon I) |
|---|---|
| 発行地域 | フランス |
| 時代 | 1803年〜1815年(皇帝ナポレオン1世時代)、広義には1803〜1914年 |
| 素材 | 金 |
この記事で分かること
- ナポレオン20フラン金貨が誕生した経緯と制度上の位置づけ
- 金貨の素材・重量・直径などの規格
- 第一統領時代から皇帝時代、百日天下までのデザイン変遷
- 隠匿金貨群「リヴ・ドール・ホード」との関わり
- 現在のコレクター市場における価格傾向とリスクの考え方
ナポレオン1世の20フラン金貨(American Numismatic Society 所蔵、1811年パリ造幣)。
制度としての誕生――ルイドール金貨からの転換
ナポレオン20フラン金貨は、1803年3月28日に第一統領ナポレオンの決定によって導入されました。それまで流通していたルイドール金貨を置き換える形で発行されたのが始まりです。
この金貨は、当時のフランスで採用されていた「ジェルミナル・フラン」と呼ばれる金本位制の平価に対応する規格として設計されました。単なる肖像コインではなく、フランスの通貨制度そのものを支える基準貨幣だった点が特徴です。フランスの近代金貨全般については、フランス近代金貨ガイドでも詳しく扱っていますので、あわせてご覧ください。
規格――約111年変わらなかった仕様
ナポレオン20フラン金貨の規格は、次のとおりです。
- 素材は金90%(21.6金)の合金
- 重量は約6.45グラム(6.45161グラム)
- 直径は約21ミリ
- 純金含有量は5.807グラム(0.1867トロイオンス)
注目すべきは、この重量・純度・直径の組み合わせが、その後およそ111年間にわたってほとんど変更されなかったことです。1865年には、この規格がラテン通貨同盟の基準金貨として採用されました。さらに、スイスの20フラン・ヴレネリ金貨やイタリアのマレンゴ金貨といった、他国の金貨規格にも影響を与えたとされています。
デザインの変遷――第一統領から皇帝へ
表面のデザインは、彫刻家ピエール・ジョセフ・ティオリエによるものです。金貨の表面と裏面には、ナポレオンの政治的立場の変化がそのまま刻み込まれています。
発行当初、まだナポレオンが第一統領だった時期には、「BONAPARTE PREMIER CONSUL」の銘とともに第一統領としての肖像が刻まれました。この1802年から1803年にかけての発行分は、約10万枚程度しか鋳造されなかったとされ、希少性が高いと言われています。
1804年にナポレオンが皇帝に即位すると、肖像は月桂冠を被った皇帝像へと変更されました。銘文も肖像の周囲に「NAPOLEON EMPEREUR」と刻まれるようになります。裏面には、オリーブの葉を2枝あしらった花輪の中に額面「20 FRANCS」の文字が刻印されています。
さらに1815年、ナポレオンが一時的に権力に復帰した「百日天下」の時期にも、この金貨は発行されました。この時期の銘文は「EMPIRE FRANÇAIS」となっています。パリ造幣局の刻印「A」が付いた1815年発行分は、43万6000枚程度とされていますが、こちらもあくまで推定にとどまる数字です。
鋳造は、パリのほか各地方の造幣局でも行われ、造幣局ごとに「A」「H」「W」といったミントマーク(造幣局刻印)が金貨に刻まれました。
流通と回収――ロシア遠征から失脚まで
1811年、パリ造幣局「A」刻印の金貨は、ナポレオンによるロシア遠征の時期に流通していたとされています。この時期に発行された金貨の一例として、NGCによりAU50の等級が付けられたコインが、0.1867オンスの金含有量を持つ個体として知られています。
しかし1814年、ナポレオンが失脚すると、皇帝の肖像が刻まれた金貨の多くは回収され、溶解されてしまいました。1815年に一時的な復権(百日天下)があったものの、その後の没落によって、ナポレオンの肖像を持つ金貨の現存数はさらに限られることになったと考えられます。
隠されていた金貨群――リヴ・ドール・ホード
ナポレオン20フラン金貨をめぐる興味深い話題のひとつに、パリの銀行の地下から発見された大量の隠匿金貨群「リヴ・ドール・ホード」があります。このホード(埋蔵貨幣群)には、本コインが含まれていたことが分かっています。長期間にわたって人知れず保管されていた金貨群は、当時の流通や退蔵の実態を伝える貴重な手がかりとなります。
市場での評価と価格の目安
ナポレオン20フラン金貨は、非常に大量に鋳造されたため、現存数が多く、全体としては希少価値が比較的低いタイプとされています。この点は、イギリスのソブリン金貨と並び、地金型金貨(金の含有量に価値の重心がある金貨)の先駆けとされる理由のひとつでもあります。
とはいえ、発行年や造幣局刻印によって評価は大きく異なります。参考までに、いくつかの取引例を挙げます。ただし、いずれも出典の裏付けが十分に確認できていない情報である点にご留意ください。
- 1811年「A」刻印品の平均的な取引価格は、約930米ドル程度とされています
- 1811年「A」刻印品は、2010年のボナムズのオークションで29,250米ドルという記録的な価格で落札されたとされています
- 1811年「H」刻印品は、2020年のケンカーのオークションで20,000ユーロで落札されたとされています
- 1811年「A」刻印品は、2012年のヘリテージ・オークションズで1,028米ドルで落札されたとされています
これらの価格差からも分かるとおり、同じ年号・同じデザインの金貨であっても、状態や個体差によって評価は大きく変動します。コインの状態を評価するグレーディング(鑑定・等級評価)の結果は、価格を左右する重要な要素です。アンティークコインへの投資を検討する場合は、こうした価格変動のリスクを踏まえたうえで、あくまで執筆時点の情報として捉えることが大切です。将来の値上がりを保証するものではありません。
広義のナポレオン金貨――後継者たちの肖像
「ナポレオン金貨」という呼び方は、狭義には皇帝ナポレオン1世の肖像が刻まれた20フラン金貨を指しますが、より広い意味では、その後のフランス歴代君主・皇帝の肖像を刻んだ同規格の金貨も含めて呼ばれることがあります。具体的には、ルイ18世、シャルル10世、ルイ・フィリップ、そしてナポレオン3世の肖像を持つタイプです。
なかでも、1861年に発行されたナポレオン3世の肖像版は、特に人気の高いタイプとして知られています。20フラン金貨の鋳造自体は、第一次世界大戦が始まる直前の1914年頃まで、断続的に続けられました。
まとめ
ナポレオン20フラン金貨は、単なる肖像コインではなく、フランスの近代金本位制を象徴する基準貨幣でした。第一統領から皇帝への肖像の変化、百日天下という激動の時代背景、そして約111年間変わらなかった規格の安定性は、この金貨が果たした歴史的な役割の大きさを物語っています。コレクションを検討する際は、造幣局刻印や発行年による希少性の違いを踏まえつつ、価格変動のリスクも十分に理解しておくことが大切です。
本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の購入を勧誘するものではありません。アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性などにより変動し、将来の価値を保証するものではありません。記載の価格は執筆時点のものです。購入の判断はご自身の責任でお願いします。
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