旧20円金貨とは 龍の金貨と発行枚数の謎

英語名Old 20 Yen Gold Coin
発行地域日本
時代明治3年〜25年(1870年〜1892年)
素材

旧20円金貨は、新貨条例(1871年)に基づいて発行された、日本の近代金貨のなかで最も額面の大きいコインです。

この記事では、規定量目や品位といった基本データに加え、年号ごとに枚数が食い違う理由明治3年銘に潜む極印の謎、そして財務省が2005年前後に行った放出の背景を、財務省の公式刊行物に基づいて掘り下げます。海外オークションでの落札事例と、そこに伴うリスクにも触れます。

旧20円金貨の菊花紋の面。中央に旭日、上に菊花紋章、左右に桐紋と錦の御旗が配される
菊花紋の面 American Numismatic Society (0000.999.26497) / パブリックドメイン
旧20円金貨の龍のある面。真珠状の輪の中に龍、周囲に「明治三年 大日本 二十圓」の文字
龍のある面 American Numismatic Society (0000.999.26497) / パブリックドメイン

旧20円金貨(明治3年銘)。米国貨幣学会所蔵品の実測値は直径35.0mm、重量33.37g。

基本データ

規定の量目(コイン全体の重さ)は33.3333g、直径は35.06mmです。品位(貴金属の純度)は金900/銅100、つまり90%が金で、残り10%が銅の合金です。

新貨条例では純金1.5g=1円と定められていたため、額面20円の旧20円金貨には純金30gが含まれている計算になります。この純金量が、後述する市場価格の下限を形作ります。

米国貨幣学会(ANS)が所蔵する明治3年銘の個体を実測すると、直径35.0mm・重量33.37gでした。規定値とのわずかな差は、打刻時のばらつきや摩耗によるものと考えられます。

図柄 — 「表」「裏」ではなく図柄名で

旧20円金貨の一方の面にはが配され、周囲に「明治○年 大日本 二十圓」の銘が刻まれています。もう一方の面には、旭日・八稜鏡・錦の御旗・菊花紋・桐紋が組み合わされています。

**この記事では「表」「裏」という呼び方をあえて避けています。**日本国内の慣行では龍のある面を表とすることが多い一方、海外の博物館資料では龍側を裏面(reverse)として記載する例があり、呼び方が一致しないためです。呼称の背景は表面と裏面の用語集で解説しています。本記事では「龍のある面」「菊花紋の面」のように図柄名で呼び分けます。

龍が意匠に採用された経緯について、造幣局に雇われていた外国人技術者が天皇の肖像を提案したものの、「畏れ多い」との理由で採用されず、中国の伝統にならって元首の代替として龍が選ばれた、とされています。以後、日本の硬貨には人物の肖像が使われていません。

発行枚数 — 資料によって数字が食い違います

年号ごとの発行枚数は、次のように伝えられています。

年号発行枚数
明治3年銘46,139枚
明治9年銘954枚 とする資料と、1,004枚 とする資料がある
明治10年銘26枚 とする資料と、29枚 とする資料がある
明治13年銘103枚

**明治9年銘・明治10年銘については、複数の資料を突き合わせても数字が一致しませんでした。**このうち954枚という数字は独立した複数の資料で一致度が高く、有力とみられます。一方、26枚か29枚かは決着していません。

希少年号を根拠に購入を検討する場合は、1つの資料の数字を鵜呑みにせず、複数の資料を照合することをおすすめします。

なお、明治25年銘も存在が確認されていますが、正確な発行枚数は資料によって記載がまちまちで、本記事では断定を避けます。博覧会展示用に製造されたという説明が見られることもありますが、裏付けは限定的です。

明治3年銘の極印はいつ作られたのか

財務省の公式刊行物にのみ記録されている、興味深いエピソードがあります。

新貨条例が公布されたのは明治4年でした。ところが、財務省が保有していた旧20円金貨のなかに、明治3年銘の個体が94枚含まれていたことが分かっています。

これは、明治3年中の製造開始を見込んで明治3年銘の極印が先に用意されていたものの、実際の製造開始が明治4年にずれ込み、その後もそのまま明治3年銘の極印が使われ続けたためと考えられています。

**この事実は、年銘だけでは製造年を断定できないことを示す好例です。**コインの真贋や由来を調べる際、刻まれた年号を鵜呑みにできない場合があることを、この旧20円金貨は教えてくれます。

同じ財務省保有品のなかには、明治3年銘で刻印を2度打ちしてしまったエラー銭も1枚見つかっています。製造工程の緊張感が伝わる記録です。

手変わり — 同じ年号でも図柄が違う

旧20円金貨には、同一年銘でありながら図柄が微妙に異なる個体が存在します。これを日本の古銭市場では「手変わり」と呼びます。

原因としては、造幣局が図柄の異なる複数の極印を使用したこと、極印が摩耗して手直しした際に図柄が変化したこと、当時の圧印技術が未熟だったことなどが考えられている、とされています。これは海外のダイ・ヴァラエティ(極印の違いによる変種)に近い概念です。

近代銀貨の手変わりは研究が進んでいますが、近代金貨は1枚あたりの価格が高く個体を集めにくいため、研究が遅れているとされています。

財務省放出と市場への影響

戦時中に供出された近代金貨は、長らく財務省が保管していました。日本の近代金貨入門で解説したとおり、これらは2005年から2008年にかけて、公開オークションとインターネットオークションを通じて売却されています。

**財務省がこの放出に慎重だった理由が、公式刊行物に記されています。**2005年当時、日本国内の古銭市場全体の規模は年商およそ100億〜150億円、近代金貨に限れば年商およそ1億〜3億円と推計されていました。この小さな市場に一度に3万点あまりを放出すれば相場に影響を与えることが見込まれたため、財務省は専門家による研究会を設けて売却方法を検討したとされています。

この推計は、日本の近代金貨入門で触れた「放出後に価格が概ね半額まで下落した」という現象の背景を、定量的に裏付けるものといえます。

相場を見るときの注意

ここからは価格に触れますが、いずれも執筆時点の情報であり、相場は変動します。

2004年、国内の民間オークションで明治9年銘(未使用クラス)が1,100万円で落札された記録があります。これは財務省による大量放出が始まる前の水準である点に注意してください。

海外オークションでは、2021年4月、香港でのスタックス・バウアーズのオークションにて明治3年銘(PCGS MS-65)が87,000米ドルで落札されました。また2025年4月開催のBonhams Skinnerのオンラインオークションでは、明治3年銘(状態評価Extremely Fine to About Uncirculated)が、ハンマープライスに買い手手数料20%を加えた総額で66,000米ドルとなっています。

明治10年銘(PCGS MS-64プルーフライク)については、スタックス・バウアーズの香港オークションで事前見積りが30万〜60万米ドルとされていました。**しかし実際の落札額は84万米ドルまで伸び、見積りを大きく超える結果になっています。**発行枚数がごく少ない年号では、事前の見積りが当日の入札を反映しきれない場合があることを示す事例です。

こうした海外の落札事例は華やかですが、いずれも発行枚数がごく少ない希少個体です。一般的な年号の相場とは切り離して見る必要があります。

まとめ

アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性により変動し、金相場の影響も受けます。売却したいときにすぐ買い手がつくとは限らないため、購入にあたってはこうした点も踏まえてご判断ください。

同じ額面でも重さが半分になった新20円金貨や、日本の近代金貨全体を扱った日本の近代金貨入門もあわせてご覧ください。

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本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の購入を勧誘するものではありません。アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性などにより変動し、将来の価値を保証するものではありません。記載の価格は執筆時点のものです。購入の判断はご自身の責任でお願いします。

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