メタポンティオンのスタテル銀貨|大麦の穂が語る南伊の歴史

英語名Metapontum Silver Stater (Barley Ear type)
発行地域古代ギリシャ
時代前6世紀中頃〜前3世紀初頭(主に前550年頃〜前290年頃)
素材

この記事で分かること

Metapontum Silver Stater (Barley Ear type) の表面(オブバース)
表面(オブバース) American Numismatic Society (1941.153.68) / パブリックドメイン
Metapontum Silver Stater (Barley Ear type) の裏面(リバース)
裏面(リバース) American Numismatic Society (1941.153.68) / パブリックドメイン

Metapontum Silver Stater (Barley Ear type)(American Numismatic Society (1941.153.68))

メタポンティオンとはどのような都市か

メタポンティオンは、南イタリアのルカニア地方に築かれたアカイア系ギリシャ人の植民市です。都市はカウセントゥス川(現在のバセント川)とブラダヌス川(現在のブラダーノ川)という二つの川に挟まれた土地に位置していました。

この地域は非常に肥沃で、大麦の生産が盛んだったことが知られています。豊かな穀物生産は都市の経済的な繁栄を支え、後の貨幣デザインにも直接反映されることになりました。南イタリアや南部の植民市を含むギリシャ世界全体の貨幣史については、古代ギリシャ貨幣の総合ガイドでも概観できます。

大麦の穂とインキューズ技法

メタポンティオンでの貨幣発行は前550年頃に始まったと考えられています。この最初期の発行に用いられたのが、インキューズ技法と呼ばれる特殊な製法です。これは表面に浮き彫りで図柄を打刻し、裏面には同じ図柄を凹状に、いわば型取りしたように打刻する方法で、表裏の図像が対称的な凹凸関係になります。

この技法はメタポンティオン特有のものではなく、クロトンやシュバリスといった、同じマグナ・グラエキア(南イタリアのギリシャ植民都市群の総称)の都市に共通して見られる特徴です。ちなみに、コインという発明そのものは前650年頃にリディア・イオニア地方で始まり、約1世紀という短い期間でギリシャ世界の主要都市に広まったとされています。

メタポンティオンの銀貨では、表面に大麦の穂が浮き彫りで描かれ、穂の脇には「META」あるいは「METAPONTIWN」という銘文が刻まれました。穂に付く粒の数は版によって異なり、六粒、七粒、八粒などの描写が確認されています。裏面にはこの表面像がそのまま凹状に沈み込む形で表現されました。表面と裏面の関係については、表面・裏面(オブバース・リバース)の解説も参考になります。

初期の貨幣は広く薄いフラン(コインの素材となる金属の円板)が使われており、これは同時期の他地域で見られた厚手のコインとは対照的な特徴でした。重量は約7.8グラムから8グラムほどが標準とされ、実測例では7.77グラム、7.81グラム、7.83グラム、7.51グラム、7.74グラムなど、個体ごとにばらつきがあります。この重量基準は、当時広く使われていたコリントス基準(約8.6グラム)とは異なる、メタポンティオン独自の基準だったとされています。直径は約28.8ミリメートル程度の例が記録されています。

なお、インキューズ技法とピタゴラス思想の「対立物の統一」という概念を結びつける説も存在しますが、この技法の導入時期はピタゴラスが南イタリアに到来したとされる時期より約20年ほど早く、年代的に見て否定的とされています。また、コインを積み重ねて収納しやすくするための工夫という説もありますが、実際には凹凸の組み合わせは不安定で、説得力に欠けるという指摘もあります。インキューズ貨幣の発行が終わったのは、おおよそ前470年頃と推定されています。貨幣発行の開始自体は、シュバリスが滅亡した前510年よりも十分に早い時期だったと考えられています。

デメテル女神とレウキッポス像への変遷

前4世紀に入ると、メタポンティオンの貨幣デザインには大きな変化が見られるようになります。後期の発行では、表面に大麦の穂に代わって女神デメテルの頭部像が登場するようになりました。デメテルは大麦の穂と葉を組み合わせた冠、ネックレス、三連のペンダントイヤリングを身につけた姿で描かれています。大麦の意匠はもともと、都市の富そのものと、豊穣の女神デメテルへの信仰を象徴するものだったとされます。

古代の地理学者ストラボンによれば、メタポンティオンは黄金の麦穂を模した奉納品をデルフォイの神域に贈ったとされています。これはあくまで文献上の記録であり、断定はできない点に留意が必要です。

デメテル像が描かれた版の中には、刻印者の署名とみられる「DA(I)」や、造幣責任者を示すとされる「M(AX)」といったマークが刻まれているものもあります。また裏面には、穂の上に小さな鋤(プラウ)の意匠が加わった版も存在します。

さらに前4世紀後半になると、表面に兜を被った髭の男性頭部を描く版が登場します。この人物はレウキッポスと呼ばれ、伝説上のメタポンティオン建国者とされています。版によっては、レウキッポス像の背後にライオンの前脚部やブドウの房が添えられているものもあります。

こうした自然物や人物像を豊富に取り入れたデザインの多様さは、マグナ・グラエキアの都市が発行したコインに特徴的なもので、古代ギリシャ世界全体の中でも特異な存在とされています。

ピタゴラスとメタポンティオンの伝承

メタポンティオンをめぐる有名な逸話のひとつに、数学者ピタゴラスとの関わりがあります。伝承によれば、ピタゴラスは晩年にこの地に逃れ、メタポンティオンで没したとされています。

古代の伝記作家ディオゲネス・ラエルティオスは、ピタゴラスの最期について複数の異なる説を書き残しています。そのうちの一説では、ピタゴラスはメタポンティオンのムーサ神殿に逃げ込み、40日間の断食の後に死亡したとされています。ただし、これらはあくまで伝承の域を出ないものとして扱う必要があります。

先述の通り、インキューズ技法とピタゴラス思想を結びつける説は、貨幣発行の年代がピタゴラスの南イタリア到来より早いことから、年代的には成立しにくいと考えられています。

打ち直しと後代の発行

インキューズ貨幣の時代が終わり、より重厚で平打ちのフランを用いる時期に入ると、メタポンティオンでは他都市が発行したコインへの打ち直し、いわゆるオーバーストライクが多く見られるようになりました。金属素材を再利用する形で新たな図柄を打刻する手法で、こうした事例は古いコインの再利用の実態を知る手がかりにもなります。コインの発行枚数や再利用の背景を考える際には、発行数(ミンテージ)という視点も参考になります。

呼称と現代の収集市場

現代のコインカタログでは、この主要な銀貨の呼び方が一つに統一されておらず、「スタテル」「ノモス」「ディドラクマ」といった複数の呼称が用いられています。これは古代ギリシャ貨幣の分類における名称の慣習の違いによるものです。

執筆時点でのオークション市場を見ると、美品とされる状態、いわゆるグレーディングでVFからEFに相当する個体は、数百ドル程度で取引された例があるとされています。ただし、コインの購入や収集を投資目的で検討する場合は、価格が将来的に変動する可能性があることを踏まえ、確実な利益を保証するものではない点に注意が必要です。

購入を検討する際には、コインがどのような経緯で伝わってきたかを示す来歴(プロヴェナンス)や、まとまって発見された埋蔵地とされるホードの情報が、真贋や価値の判断材料として重視される傾向があります。メタポンティオンのように意匠の変遷が明確な都市の貨幣は、時代ごとの特徴を見比べながら収集する楽しみがあるといえるでしょう。

まとめ

メタポンティオンのスタテル銀貨は、大麦の穂という自然物を主題にしながら、インキューズ技法という特異な製法から、デメテル女神像、そしてレウキッポス像へと、時代に応じてデザインを変化させてきました。肥沃な土地に根差した都市の繁栄と信仰、そしてピタゴラスにまつわる伝承まで、一枚の銀貨から南イタリアの古代史の一端をうかがうことができます。

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