アンフィポリスのテトラドラクマ徹底解説
| 英語名 | Amphipolis Tetradrachm |
|---|---|
| 発行地域 | 古代マケドニア |
| 時代 | 前5世紀末〜前2世紀(都市貨幣は前4世紀中心、マケドニア王国期は前336〜前148年頃) |
| 素材 | 銀 |
この記事で分かること
- アンフィポリスという都市の成立史とマケドニア王国との関係
- テトラドラクマ(4ドラクマ相当の銀貨)の重量・意匠・図像の特徴
- 「パルテノン・グループ」など稀少型の存在とロルバー研究の概要
- 博物館所蔵例やオークション落札記録から見る評価の一端
Amphipolis Tetradrachm(American Numismatic Society (1974.190.54))
アンフィポリスという都市の成立
アンフィポリスは、前437年にアテナイの将軍ハグノンによって建設された植民市です。建設地はもともとトラキア人の集落があった場所で、「エンネア・ホドイ(九つの道)」と呼ばれていました。都市名の由来は、歴史家トゥキュディデスの伝えるところによれば、川に三方を囲まれた地形にちなむとされています。
この地への入植は、前437年の建設に先立って複数回試みられています。前497年にはミレトスの僭主ヒスティアイオスが最初の入植を試みましたが失敗し、前465年にも約1万人規模の植民団がトラキア人に殺害されて頓挫したとされます。前437年のハグノンによる建設は、こうした度重なる試みの末にようやく実現したものでした。
アンフィポリスはその後、ペロポネソス戦争の重要な舞台となります。前424年にはスパルタの将軍ブラシダスがこの都市を占領し、アテナイの将軍クレオンを撃破しました。両者はさらに前422年の戦闘で激突し、この戦いでブラシダスとクレオンはともに戦死しています。
マケドニア王国の造幣拠点として
アンフィポリスの歴史における大きな転機は、前357年にフィリッポス2世がこの都市を征服し、マケドニア領に組み込んだことです。征服後まもなく、アンフィポリスはマケドニア王国有数の造幣所(王立ミント)としての地位を確立したとされています。ギリシア世界の古代史全般については古代ギリシアコインの入門ガイドもあわせてご参照ください。
前334年、アレクサンドロス大王がアジア遠征に出発した際には、アンフィポリスは海軍基地として利用されました。都市はストリュモン川沿い、パンガイオン山に近い位置にあり、周辺は金・銀鉱山と木材資源が豊富な地域でした。こうした資源環境が、造幣所としての機能を長く支えた背景にあると考えられます。
その後、前168年にローマがマケドニアを征服し、マケドニア王国は滅亡しました。さらに前148年には、アンフィポリスがローマ属州の州都となっています。都市の政治的立場は、前357年の征服、前168年の王国滅亡、前148年の属州化という段階を経て変化しましたが、貨幣鋳造の拠点としての機能そのものは、王国滅亡後もしばらく形を変えながら続いたとみられます。
テトラドラクマのデザインと図像
アンフィポリス鋳造のテトラドラクマは、重量が約14から17グラム、直径は25から32ミリメートル程度とされ、時代や型によって幅があります。
表面(オブバース)の典型的な意匠は、月桂冠を戴いたアポロン頭部で、正面から四分の三向きに描かれるのが特徴です。裏面(リバース)には「ΑΜΦΙΠΟΛΙΤΩΝ」という都市名の銘と、競走用の松明のモチーフが組み合わされる型が多く見られます。表面・裏面の基本的な見方については表面と裏面に関する用語解説もご覧ください。
一部の型には、スフィンクス、獅子、麦穂、三脚台といった副次的なシンボルが添えられており、これらは発行時期や担当官を識別する手がかりになっているとみられます。また、フィリッポス2世の時代には、都市名を示すエスニコン(都市名を表す形容詞形)の綴りが、イオニア形からアッティカ形へと変化したことも確認されています。こうした細部の違いは鋳造年や発行数を示すミンテージの研究において重要な手がかりとなります。
稀少型「パルテノン・グループ」
数あるアンフィポリス発行のテトラドラクマの中でも、前357/6年発行の「パルテノン・グループ」と呼ばれる型は極めて稀少とされています。現在知られている個体は13枚のみで、そのうち個人所有は5枚とされています。
研究者ロルバーによる調査では、アンフィポリス発行のテトラドラクマの型が総計112例確認されているとされます。これほど多様な型が存在すること自体、この造幣所が長期にわたり活発に稼働していたことを示唆しています。型の分類や希少性の把握には、個々の貨幣の来歴(プロヴェナンス)を丁寧にたどる作業が欠かせません。
時代ごとの発行例と重量の違い
アンフィポリスでは、フィリッポス2世期以降もさまざまな王朝名義でテトラドラクマが鋳造され続けました。アメリカ貨幣協会(ANS)所蔵のアレクサンドロス3世名義の一枚は重量17.14グラムです。カッサンドロス期に発行された、フィリッポス2世名義のテトラドラクマは重量17.23グラムとされています。
さらに時代が下ると、前288から281年のリュシマコス期発行とされる例では重量16.859グラム、直径32ミリメートルという記録があります。ローマ共和政期、前167から149年のマケドニア第一区分発行例は重量16.27グラムです。このように、時代や発行主体によって重量にはばらつきが見られます。
前362から361年頃発行とされる型では、重量14.12グラム、直径26ミリメートルという例も報告されています。こうした重量や直径のわずかな違いは、鋳造時期や品位(フィネス、貴金属の含有割合)の管理体制の変化を反映している可能性があります。
博物館所蔵例とオークション記録
ボストン美術館には、重量14.15グラム、直径25ミリメートルの所蔵例があります。同館にはもう一点、「サロニキで1859年に出土したコイン」に由来するとされる所蔵例も存在します。出土地や出土年が判明している貨幣は、埋蔵貨幣(ホード)研究において特に価値が高いとされています。
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館にもアンフィポリス発行のテトラドラクマが所蔵されており、これはジョージ・ソルティング氏の遺贈コレクションに含まれるものです。
市場での取引記録としては、前366/5年発行とされる一枚が2012年のオークションで464,820ユーロで落札されています。また、前357/6年発行の一枚は2011年のCNGトリトンXIVオークションで525,630ユーロの高値を記録しました。さらに、前366年頃発行とされる別個体は、プロスペロコレクションの売立てで702,000ドルで落札されています。
アンフィポリス出身の著名人と収集上の留意点
アンフィポリスは貨幣史だけでなく人材の面でも重要な都市でした。アレクサンドロス大王配下の著名な提督3名がこの都市の出身とされています。造幣所としての実績と、こうした人材輩出の背景には、都市の軍事的・経済的な重要性が関わっていたと考えられます。
アンフィポリス発行のテトラドラクマは、稀少型を中心に高額での取引例が確認されていますが、こうした古代コインへの投資には価格変動のリスクが伴います。執筆時点での落札事例はあくまで過去の記録であり、将来の価値を保証するものではありません。購入を検討する際は、鑑定(グレーディング)を経た個体かどうか、来歴が明確かどうかを確認することが大切です。
以上のように、アンフィポリスのテトラドラクマは、都市の激動の歴史と、マケドニア王国の造幣技術の一端を今に伝える貨幣といえます。稀少型の存在や博物館所蔵例、オークション記録を通じて、その価値の一端をうかがい知ることができます。
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