セレウコス朝テトラドラクマ完全ガイド

英語名Seleucid Tetradrachm
発行地域古代ギリシャ
時代前312年頃〜前63年(セレウコス朝存続期間)
素材

この記事で分かること

Seleucid Tetradrachm の表面(オブバース)
表面(オブバース) American Numismatic Society (1977.158.636) / パブリックドメイン
Seleucid Tetradrachm の裏面(リバース)
裏面(リバース) American Numismatic Society (1977.158.636) / パブリックドメイン

Seleucid Tetradrachm(American Numismatic Society (1977.158.636))

セレウコス朝とは何か

セレウコス朝は、アレクサンドロス大王の没後に将軍セレウコス1世が前312年頃に建てた国家です。大王の広大な遠征地の一部を引き継ぎ、ヘレニズム世界の中心的な勢力の一つとなりました。ヘレニズム世界の全体像については、古代ギリシアコインの総合ガイドもあわせてご覧ください。

首都は当初セレウケイアに置かれ(前305〜240年頃)、その後アンティオキアに移されました(前240〜63年頃)。この二つの都市は、後述するテトラドラクマの主要な鋳造地としても重要な役割を果たしています。

テトラドラクマとアッティカ標準

テトラドラクマとは「四ドラクマ」を意味する大型銀貨で、ヘレニズム世界で広く流通しました。当時の標準はアッティカ(アッティコ・エウボイア)標準と呼ばれ、ドラクマ1枚が約4.31グラム、その4倍にあたるテトラドラクマは理論上約17.26グラムとされています。

この標準はアレクサンドロス大王の遠征によってヘレニズム世界全域に広まりました。銀の純度はおよそ95%前後とされ、当時としては信頼性の高い貨幣だったと考えられます。なお、同じヘレニズム系でもプトレマイオス朝は独自の「フェニキア標準」(約14.2グラム)を採用しており、セレウコス朝の貨幣より軽量でした。

鋳造地ごとの特徴

セレウコス朝のテトラドラクマは、帝国内の複数の造幣所で鋳造されました。鋳造地を示すミントマーク(鋳造地を表す刻印)の違いから、出所を推測できる場合があります。

セレウコス1世期の代表例を見てみましょう。アンティオキア鋳造のものは直径28ミリ・重量16.84グラム(前286〜281年頃)。ラオディケア鋳造は直径27ミリ・重量16.42グラム(前300〜280年頃)。スーサ鋳造とされる個体は重量17.39グラム・直径25ミリ(前305/4〜295年頃とされます)のほか、重量16.19グラム・直径26ミリの個体も知られています。エクバタナ鋳造は重量17.02グラム・直径26ミリ(前295〜281年頃)です。

メトロポリタン美術館所蔵品のなかには、重量17グラム・直径2.7センチ(前304〜294年頃)のものと、パサルガダエ出土とされる重量16.6グラム・直径2.7センチ(前318〜316年頃)のものがあります。出土地や来歴、いわゆるプロヴェナンス(コインの伝来経路)が分かる個体は、資料的価値も高いとされています。

図像の変遷

テトラドラクマの表裏の図像は、時代とともに変化しました。当初はアレクサンドロス大王型の図案、すなわちヘラクレスの頭部とゼウス坐像を引き継いでいました。

セレウコス1世個人を描いたコインでは、兜にパンサーの皮と牛角の装飾が施され、酒神ディオニュソスを連想させる意匠が採用されています。続くアンティオコス1世の治世からは、オンパロス(デルフォイの神域にあるとされる石)の上に座るアポロン像が裏面の定番図像として定着しました。アンティオコス1世のセレウケイア鋳造テトラドラクマは重量16.84グラム・直径27ミリで、別個体も同じ重量・直径が伝えられています。

歴代王のコインと帝国の変遷

セレウコス朝の歴史をたどると、コインの発行状況からも国力の変化がうかがえます。デメトリオス1世期(前162〜150年)のアンティオキア鋳造テトラドラクマは重量16.65グラム(セレウコス紀元161年=前152/1年)。アンティオコス6世は幼くして即位し、実権は摂政ディオドトス・トリュフォンが握るなかで、前144/3年(セレウコス紀元169年)にアンティオキアでテトラドラクマが鋳造されました。

アンティオコス7世のテトラドラクマは重量16.78グラム・直径28ミリで、その価値は当時の労働者の4日分の賃金に相当したと評されています。アンティオコス8世のものは重量16.67グラム・直径28ミリ(前121〜96年)です。時代が下ったフィリップ1世期(前89〜83年)のアンティオキア鋳造は、直径48ミリとされる個体・重量16.06グラムの個体と、直径25ミリ・重量15.74グラムの個体が知られ、規格にばらつきが見られます。

歴史的には、前188年のアパメイアの和約でタウロス山脈以西の領土をペルガモンに割譲したことが、帝国縮小の転機となりました。前141年にはセレウケイアがパルティアに占領され、東方領土の喪失が進みます。前129年のエクバタナの戦いでアンティオコス7世が戦死すると、帝国は急速に衰退しました。前83年にはアルメニア王ティグラネス2世がシリアを征服し、セレウコス朝は事実上中断します。前69年にローマがティグラネスを破り、アンティオコス13世のもとで一時復活しましたが、前63年にローマの将軍ポンペイウスがシリアを属州化し、最後の王フィリップ2世(在位前65〜63年)をもって王朝は滅亡しました。

なお、アンティオコス4世はエルサレム神殿にゼウス像を安置し、これがハスモン朝の反乱を誘発したとされています。

市場での評価と収集の注意点

セレウコス朝のテトラドラクマは、現在もオークション市場で取引されています。一例として、前281年にペルガモンで鋳造されたセレウコス1世のテトラドラクマが、2019年のオークションで329,346ユーロで落札された記録があります。

ただし、こうした高額落札はあくまで個別の事例であり、将来にわたって同様の価格がつくことを保証するものではありません。価格は市場動向や個体の状態、来歴によって大きく変動し得るため、執筆時点の傾向が今後も続くとは限りません。古代コインへの投資的な関心を持つ場合も、相応のリスクを踏まえた判断が求められます。

まとめ

セレウコス朝のテトラドラクマは、アッティカ標準という共通規格のもとで、アンティオキアからスーサ、エクバタナに至る広大な帝国各地で鋳造されました。図像はアレクサンドロス型から始まり、セレウコス1世独自の意匠、そしてアポロン坐像へと変遷しています。王朝の興亡とともに変化する重量や図案は、ヘレニズム世界の歴史そのものを映す資料といえるでしょう。

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