セレウコス朝金スタテル タルソス発行の歴史と魅力

英語名Seleucid Gold Stater (Tarsus Mint)
発行地域古代ギリシャ
時代前312年頃〜前2世紀(セレウコス1世〜アンティオコス期)
素材

この記事で分かること

Seleucid Gold Stater (Tarsus Mint) の表面(オブバース)
表面(オブバース) American Numismatic Society (1967.152.665) / パブリックドメイン
Seleucid Gold Stater (Tarsus Mint) の裏面(リバース)
裏面(リバース) American Numismatic Society (1967.152.665) / パブリックドメイン

Seleucid Gold Stater (Tarsus Mint)(American Numismatic Society (1967.152.665))

タルソスという都市とアレクサンドロス大王の占領

タルソスは、現在のトルコ・メルスィン県にあたるキリキア地方の主要都市です。古代から地中海東部の交易路上にある要衝として栄えてきました。

この都市の歴史を語るうえで欠かせないのが、前333年にアレクサンドロス大王がタルソスを占領した出来事です。この占領を契機として、タルソスには造幣所が置かれ、前333年頃からアレクサンドロス型の金スタテルが発行され始めました。金スタテルはアッティカ標準(古代ギリシア世界で広く用いられた重量基準)に基づき、重量は約8.6グラムとされています。

初期のタルソス発行については、バラクロスまたはメネスという人物の統治下、前332年から前327年頃にかけて行われたとされます(要確認)。この時期の史料は限られており、断定的な結論には至っていません。

表裏のデザインと起源をめぐる論争

タルソス発行の金スタテルは、表面と裏面にそれぞれ特徴的な図柄を持っています。表面にはアテナ女神の兜姿の頭部が描かれ、コリント式兜には鶏冠飾りが施されています。裏面にはニケ女神の立像が配され、花冠と船尾飾り(スティリス)を手にした姿で表現されています。発行によっては、ニケが花冠と棕櫚の枝を持つ図柄も見られます。

このタルソス発行の金貨をめぐっては、長らく学術的な議論がありました。一部のタルソス発行はかつてシドン起源説が唱えられていた時期があり、後に再びタルソス起源へと帰属し直された経緯があります。

この論争の流れを整理すると、まず1918年にエドワード・ニューウェルが「タルソスとアレクサンドロス大王統治下」と題する研究を発表し、タルソス起源説の基礎を築きました。これに対し1923年、G.F.ヒルは学術誌上でシドン説を維持しつつも、その根拠については懐疑的な見解を示しています。その後2007年になって、ル・リデールが著作の中でタルソス起源説を有力な説として位置づけました。このように、一枚の金貨の発行地をめぐる議論だけでも、一世紀近くにわたり研究者の間で見解が揺れ動いてきたことが分かります。こうした発行地や来歴の特定は、古代コインの来歴(プロヴェナンス)を考えるうえでも重要な手がかりとなります。

セレウコス朝歴代王のもとでの発行継続

アレクサンドロス大王の死後、タルソスの造幣所はセレウコス朝の支配下でも金スタテルの鋳造を続けました。セレウコス1世(在位前312年から前281年)の治下でも金スタテルの鋳造は継続され、参考例としてバビロン鋳造品では重量8.54グラム、直径18ミリメートルという記録があります。この時期の一部の金スタテルには、セレウコス1世自身ではなく、アレクサンドロスの名が刻まれている例も見られます。

タルソス発行のスタテルには、副官の頭文字である「K」と、造幣責任者を示すモノグラム(造幣所や責任者を示す組み合わせ文字)が併記される例があり、当時の造幣管理の仕組みをうかがい知ることができます。

その後もアンティオコス1世(前280年から前261年)の治下でタルソス発行が続けられ、アンティオコス2世(前261年から前246年)の治下でも発行されたスタテルが現存しています。このうちの一枚は、かつてアーサー・ハウトン氏が所蔵していたことが知られています。アンティオコス2世期のタルソス発行の時期は、前261年から前253年頃とされています。

タルソスの政治的な位置づけ

タルソスは前3世紀初頭、プトレマイオス朝とセレウコス朝の間で争奪の対象となった都市でもありました。前301年のイプソスの戦いの後、セレウコス朝の領域は拡大し、タルソスもその影響下に置かれるようになります。

セレウコス朝の支配下で、タルソスは一時「アンティオキア・オン・キュドノス」と改称されたとされています(要確認)。この名称からも、セレウコス朝の首都であるオロンテス河畔のアンティオキアとの結びつきの強さがうかがえます。

しかし前171年、アンティオコス4世がタルソスを愛妾アンティオキスに贈与したことをきっかけに、市民の反乱が起きています。なお、アンティオコス4世の治下では、タルソスにおいて前173年以降「花様式」と呼ばれるテトラドラクマ銀貨も鋳造されていました。セレウコス朝全体では、タルソスを含む数十の造幣所で金銀銅の貨幣が発行されており、タルソスはその中でも重要な位置を占めていました。

前190年のマグネシアの戦いでアンティオコス3世が敗北し、セレウコス朝は小アジアの領土を失います。この後、タルソスはセレウコス朝末期において、北部領域の実質的な首都的役割を果たしたとされています。

ローマ支配への移行とその後

前104年頃には、キリキアの一部がローマの属州化を経験したとされています(要確認)。そして前64年から前63年にかけて、ポンペイウスがキリキアをローマの属州として正式に再編しました。これにより、セレウコス朝によるタルソス支配の時代は終わりを迎えます。

タルソスは、新約聖書に登場する使徒パウロの出身地としても広く知られており、古代都市としての知名度は貨幣の歴史にとどまりません。

コイン市場における状況

セレウコス朝の貨幣は、現在のコイン収集市場でも取引の対象となっています。タルソス発行の金スタテルに関連する銀貨の一例では、CNGのオークションで1,500ドルで落札された記録があります。また、セレウコス朝の金貨全般では、オクタドラクマが77,350ドルという高額で落札された例も報告されています。

こうした価格はあくまで執筆時点における参考例であり、古代コインの市場価格は状態や来歴、需給によって大きく変動します。将来的な値上がりを保証するものではなく、投資として検討する場合には価格変動のリスクを十分に理解しておく必要があります。購入を検討する際には、グレーディング(保存状態の鑑定評価)の有無や、鋳造数(ミンテージ)に関する記録なども確認材料になるでしょう。

まとめ

タルソスの金スタテルは、アレクサンドロス大王の占領に始まり、セレウコス朝の歴代王のもとで長期にわたり発行され続けた貨幣です。発行地をめぐる学説の変遷や、都市自体が経験した政治的な変転は、一枚の金貨の背景に厚みのある歴史が刻まれていることを示しています。古代ギリシア世界の貨幣全体については、古代ギリシアコインの入門ガイドでも詳しく紹介していますので、あわせてご覧ください。

関連する総合ガイドを読む →

本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の購入を勧誘するものではありません。アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性などにより変動し、将来の価値を保証するものではありません。記載の価格は執筆時点のものです。購入の判断はご自身の責任でお願いします。

どのコインから始めればいいか迷っていませんか

予算別に、最初の1枚として現実的な選択肢をまとめています。

予算別スターターキットを見る

実際に購入を検討される方へ

当サイトの運営者は、アンティークコインを扱う店舗を運営しています。記事で解説した内容は、実際の売買を通じて得た知見にもとづくものです。

ご相談は LINEでも承っています

運営者情報はこちらをご覧ください。