トラヤヌスのデナリウス銀貨とは|最大版図期の歴史と特徴

英語名Trajan Denarius (Roman Imperial Silver Coin, Empire at Maximum Extent)
発行地域ローマ帝国
時代西暦98年〜117年(トラヤヌス帝治世)
素材

この記事で分かること

Trajan Denarius (Roman Imperial Silver Coin, Empire at Maximum Extent) の表面(オブバース)
表面(オブバース) American Numismatic Society (1948.19.1157) / パブリックドメイン
Trajan Denarius (Roman Imperial Silver Coin, Empire at Maximum Extent) の裏面(リバース)
裏面(リバース) American Numismatic Society (1948.19.1157) / パブリックドメイン

Trajan Denarius (Roman Imperial Silver Coin, Empire at Maximum Extent)(American Numismatic Society (1948.19.1157))

トラヤヌス帝とデナリウス銀貨の概要

トラヤヌス帝は98年から117年までローマ帝国を治めた皇帝です。ヒスパニア(現在のスペイン)出身で、属州出身者として初めて皇帝の座に就いた人物とされています。在位中にダキア征服とパルティア遠征を成功させ、ローマ帝国の版図を史上最大にまで広げました。

この時代に鋳造されたデナリウス銀貨は、当時のローマ帝国の主要通貨であり、兵士や労働者の一日分の賃金に相当した時期もあったとされます。トラヤヌス帝のデナリウスは、征服の成果や皇帝の称号を刻み込んだ、歴史の証言者ともいえる存在です。ローマ帝国全体の貨幣史については、古代ローマコインの入門ガイドでも詳しく取り上げています。

基本スペックと個体差

トラヤヌス帝のデナリウスは、直径18〜20mm前後、標準重量は約3.2〜3.4gとされています。銀の純度はおおよそ85〜90%前後です。

実際に確認されている重量の実測例には、3.65g、3.57g、3.4g、3.25g、3.17g、3.13g、3.11g、3.01g、2.97gといった幅があり、手作業による鋳造ゆえの個体差がうかがえます。参考として、シカゴ美術館所蔵の一枚は103〜111年鋳造で直径1.8cm、コーネル大学博物館所蔵の一枚は114〜117年鋳造で重量3.25gと記録されています。こうした所蔵先の記録は、コインの伝来を確認するうえでも参考になります。

鋳造地はほぼローマ市の造幣所に集中していたとされ、当時のローマ帝国では中央集権的に貨幣が供給されていたことがうかがえます。分類には「ローマ帝国貨幣目録(RIC)」の番号が広く使われており、代表例として9、116、259、281、307、332、347などが挙げられます。学術的にはウォイテク番号(Woytek)が併記されることも多いようです。

銘文と図柄が語るもの

表面の銘文には「IMP TRAIANO AVG GER DAC P M TR P COS V P P」といった形式が見られ、皇帝としての称号や軍事的栄誉が凝縮されています。ここに含まれる「DAC(ダキクス)」は、ダキア征服を誇示するためにトラヤヌス帝が刻ませた称号です。

裏面には「SPQR OPTIMO PRINCIPI」、すなわち「元老院と市民より、最良の元首へ」という銘文が刻まれた型があります。図柄としては、ダキア人捕虜と戦勝記念柱を描いたものに加え、ウェスタ女神、ゲニウス(守護精霊)、フェリキタス(幸運の女神)、アエクィタス(公正の女神)といった神格を表したものも存在します。表裏の図柄を見比べることで、当時の政治的メッセージや宗教観を読み取ることができます。

ダキア戦争と属州化

トラヤヌス帝の治世を語るうえで欠かせないのが、ダキア戦争です。戦いは二段階に分かれ、第一次は101年から102年、第二次は105年から106年にかけて行われました。ダキア王デケバルスは106年に敗北し、自ら命を絶ったとされています。これによりダキアは同年、ローマの属州となりました。

この勝利を記念して、113年にはローマ市内にトラヤヌス記念柱が建立されました。台座を含めた高さは約35mに及び、戦争の経過を浮彫で描いた壮大な建造物です。

ダキアの鉱山から得られた金銀は、ローマ帝国の財政を大きく潤したとされています。年間700万デナリウス規模の富がもたらされたとの推計も伝えられていますが、裏付けとなる史料は限られており、あくまで参考値として捉えるべき数字です。いずれにせよ、ダキア征服による資源獲得が、その後の貨幣発行量を支える基盤の一つになったと考えられます。

パルティア遠征と史上最大版図

ダキア征服の後、トラヤヌス帝は東方へと目を向けます。113年から117年にかけてパルティア遠征を行い、アルメニア、メソポタミア、アッシリアを併合しました。この結果、117年にローマ帝国は約500万平方キロメートルという、史上最大の版図に到達したとされています。

こうした功績により、トラヤヌス帝は元老院から「オプティムス・プリンケプス(最良の元首)」の称号を授けられました。裏面銘文の「OPTIMO PRINCIPI」は、この称号を反映したものです。トラヤヌス帝は後世、五賢帝の一人にも数えられています。

しかし、トラヤヌス帝は遠征の途上、117年8月9日にシチリアのセリヌスで病没しました。享年は63前後とされています。後継者となったハドリアヌス帝は、メソポタミアなど東方の新領土を放棄する方針を取り、ローマ帝国の版図は縮小へと向かいました。

デナリウスという通貨の歩み

デナリウスという貨幣そのものは、トラヤヌス帝の時代よりずっと以前、前211年頃の第二次ポエニ戦争中に導入されたとされています。当初の重量は約4.5gでしたが、前2世紀末には3.9gへ、ネロ帝期には3.4gへと段階的に減量されていきました。トラヤヌス帝の時代の重量規格は、この減量の流れの延長線上にあります。

その後も銀の含有量と重量の低下は続き、3世紀前半には約3gにまで落ち込んだとされています。そして3世紀半ばには、デナリウスはより新しい貨幣であるアントニニアヌスに、ローマ帝国の主要通貨の座を譲ることになりました。トラヤヌス帝のデナリウスは、こうした長い通貨史の中でも、比較的銀純度が保たれていた時期の代表例といえます。

現在の評価と収集にあたっての留意点

執筆時点で、トラヤヌス帝のデナリウスは一般的な流通品であれば、オークションで数十〜数百ユーロ程度の価格帯で取引されているとされています。ただし、状態や希少なタイプかどうかによって評価は大きく変わります。購入を検討する際は、コインの保存状態を示すグレーディングの評価や、伝来の記録が明確かどうかを確認することが望ましいでしょう。

アンティークコインは美術品としての魅力を持つ一方、価格は市場の状況によって変動します。将来的な値上がりを保証するものではなく、購入は歴史資料や美術品としての価値を楽しむ視点から検討することをおすすめします。

まとめ

トラヤヌス帝のデナリウスは、直径18〜20mm前後、重量約3.2〜3.4gという規格を持ちながらも、個体ごとに実測値のばらつきが見られる貨幣です。銘文と図柄には、ダキア征服やパルティア遠征といった帝国拡大の歴史が刻まれています。ローマ帝国が史上最大の版図に到達した時代を象徴するこの銀貨は、当時の政治・経済・軍事の交差点を今に伝える貴重な史料といえるでしょう。

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