古代ローマコイン入門

古代ローマのコインは、アンティークコインのなかで最も間口が広い分野です。数十万米ドルの金貨がある一方で、数百米ドル台から手が届く貨種もあります。

そして何より、2000年前の実物を手にできるという点が他にありません。

この記事では、ローマ貨幣の全体像を、時代区分・貨種・銘文の読み方・収集の実際という順で解説します。

ネロ帝のセステルティウス裏面。オスティア港を俯瞰し、灯台と船、横たわるテベル河神を描く
ネロ帝のセステルティウス裏面。オスティア港を俯瞰の構図で描いています。直径34.5mmという大きさが、この密度の図像を可能にしました。 American Numismatic Society (1954.203.155) / パブリックドメイン

三つの時代区分

ローマ貨幣は、大きく三つの時期に分けて捉えると理解しやすくなります。

時期特徴
共和政期(〜前27年頃)元老院家系の若手が発行を担当。図像は家門の宣伝
帝政前期(前27年〜3世紀)皇帝肖像が定着。貨幣が広報媒体になる
帝政後期(3世紀〜)品位低下と混乱、そして改革

共和政期 — コインは政治家の宣伝媒体だった

共和政期の貨幣鋳造を担当したのは、**造幣三人官(tresviri monetales)**と呼ばれる役職です。

元老院家系出身の若手政治家3名が1年任期で務めました。財務官に就く前の、キャリアの初期段階に就任することの多い役職です。

ここが面白いところです。前139年の秘密投票法以降、造幣官は自分の氏族の功績や祖先の勝利を図像として刻むようになりました。つまりコインが個人的な政治宣伝の場になったのです。

前101年には、ガイウス・フンダニウスがマリウスの凱旋式を描いています。生存中の人物がローマ貨幣に登場した最初の例とされます。

そしてユリウス・カエサルが、存命中に自身の肖像を刻ませた最初の人物になりました。後にオクタウィアヌス(アウグストゥス)も、カエサルとの血縁を示すために自らの肖像を用いています。

共和政期の主な貨種

標準銀貨がデナリウスです。第二次ポエニ戦争(前218〜201年)の戦費調達のため、前211年頃に導入されました。当初は青銅貨アス10枚に相当する価値でした。

ほかに、価値の低い銀貨ウィクトリアトゥス(前221〜170年頃、銀純度は最大でも約72%)、デナリウスの半額のクィナリウス、4分の1額のセステルティウスといった端数貨がありました。

帝政前期 — 貨幣が広報媒体になる

帝政に入ると、表面には皇帝の肖像が定着します。そして裏面には、勝利・平和・治世の正統性を示す図像が組み合わされました。

印刷術のない時代において、貨幣は帝国の隅々まで届く唯一の広報媒体でした。

このことは、逆の方向からも証明されています。皇帝が失脚し「記憶の断罪(damnatio memoriae)」を受けると、その肖像は貨幣から消されました。カリグラの銀貨は回収されて鋳潰され、ゲタの肖像は殺害後に意図的に削り取られています。

コインから顔を削るという行為が意味を持つほど、貨幣は皇帝の存在そのものと結びついていました。

額面ごとに想定読者が違いました

もうひとつ重要な点です。貨種によって、想定される使い手が異なっていました。

アウグストゥス帝のアウレウス金貨
アウレウス(金) American Numismatic Society (1980.109.155) / パブリックドメイン
アウグストゥス帝のデナリウス銀貨
デナリウス(銀) American Numismatic Society (1944.100.39031) / パブリックドメイン
ネロ帝のセステルティウス黄銅貨
セステルティウス(黄銅) American Numismatic Society (1944.100.39731) / パブリックドメイン

左:アウグストゥス帝のアウレウス金貨(7.85g)。中:同時期のデナリウス銀貨(3.75g)。右:ネロ帝のセステルティウス黄銅貨(26.84g)。素材も大きさもまったく違います。

換算率は固定されていました。

1アウレウス = 25デナリウス = 100セステルティウス = 400アス

金貨は富裕層に、青銅貨は皇帝からの施与を受け取る一般市民に向けられていました。同じ皇帝の貨幣でも、素材によって語りかける相手が違っていたのです。

貨種ごとの目安

貨種素材時期と特徴
アウレウス共和政末期〜。重量約7.8〜8g、直径18〜22mm
デナリウス前211年頃〜。当初純度約95〜96%
セステルティウス黄銅前23年頃〜。銅約80%・亜鉛約20%
アス最小単位に近い日常貨
アントニニアヌス215年〜。「二重デナリウス」
ソリドゥス4世紀〜。1ローマポンドの72分の1

3世紀の危機と貨幣改革

ローマ貨幣史で最も劇的なのが、この時期です。

デナリウスの品位低下

当初95〜96%あった銀純度は、段階的に下げられていきました。

カラカラ帝のアウレウス金貨
カラカラ American Numismatic Society (1956.184.58) / パブリックドメイン
ディオクレティアヌス帝のアウレウス金貨
ディオクレティアヌス American Numismatic Society (1955.191.4) / パブリックドメイン
コンスタンティヌス1世のソリドゥス金貨
コンスタンティヌス(ソリドゥス) American Numismatic Society (1944.100.6007) / パブリックドメイン

左:カラカラ帝のアウレウス(210〜213年)。中:ディオクレティアヌス帝のアウレウス(294年)。右:コンスタンティヌス1世のソリドゥス(310〜313年)。

アントニニアヌスという失敗

カラカラ帝が215年に導入したのがアントニニアヌスです。「二重デナリウス」として、放射冠を被る皇帝像が高額面であることを示す標識になっていました。

**しかし導入の時点で、銀の実質価値はデナリウス1.5枚分しかありませんでした。**実質的な切り下げです。その後も銀含有量は下がり続けました。

なお、3世紀後半にどこまで下がったかは**資料によって数値が食い違います。**この記事では具体的な数字を示しません。

ディオクレティアヌスの改革

284〜305年の治世下、294年に貨幣改革が行われました。

コンスタンティヌスとソリドゥス

そしてコンスタンティヌス帝がソリドゥス金貨を導入します。1ローマポンドあたり72枚、1枚あたり約4.5gの比率でした。

**導入時期については資料によって説明が分かれます。**単一の年で言い切れる出来事ではなく、数十年をかけた移行の過程と捉えるのが正確です。

このソリドゥスが、その後の東ローマ(ビザンツ)帝国で長期にわたって重量と純度を維持し続けることになります。詳しくはソリドゥス金貨とはをご覧ください。

造幣所と造幣所記号

ローマ以外にも造幣所は存在しました。

アウグストゥスは前15年頃、ガリア訪問時に**ルグドゥヌム(現在のリヨン)**に造幣所を設けています。以後数十年、ここが帝国の金貨・銀貨鋳造の主力拠点となる時期がありました。

ディオクレティアヌスの改革以降、**造幣所記号**が裏面下部の「エクセルグ」(区分線で仕切られた部分)に刻まれるようになります。

工房(officina)の番号は、ラテン文字(A=第1工房、B=第2工房…)、ギリシア文字、ローマ数字など、造幣所ごとに異なる方式で示されました。

銘文の読み方

古代ローマのコインを手に取ったとき、最初にぶつかるのが略号だらけの銘文です。主要なものを押さえておけば、かなり読めるようになります。

表面:皇帝の称号

略号意味
IMPインペラトル(最高司令官)
CAESカエサル
AVGアウグストゥス
PONT MAX最高神祇官
TR P護民官職権
COS執政官(在任回数を伴う)

**TR P は年代特定に使えます。**護民官職権は毎年更新されるため、回数から発行年を絞り込めるのです。COS の回数も同様に手がかりになります。

裏面:擬人像とSC

裏面には、抽象概念を人の姿で表した擬人像が刻まれました。

そして青銅貨に見られるのが SC の2文字です。**SENATVS CONSVLTO(元老院決議による)**の略で、青銅貨の鋳造権が元老院にあったことを示します。3世紀半ばまでの帝政期青銅貨の大半に見られます。

**金貨・銀貨には SC が付きません。**この違いを知っていると、写真を見ただけで貨種の見当がつくようになります。

収集の実際

状態評価は近代コインと違います

古代コインの評価は、近代コインの数値尺度(シェルドン・スケール、1〜70点)ではなく、Good / Fine / Very Fine / Extremely Fine といった形容詞的な等級が使われます。

おおよそ VF が20〜35点、EF が40〜45点に相当するとされます。加えて、**Strike(打刻)**と **Surface(表面状態)**が1〜5点で別途評価されます。

手作業で打刻された古代コインでは、同じグレードでも見た目の印象が大きく違うためです。詳しくはグレーディングとはをご覧ください。

価格帯の目安

執筆時点で確認できた市場の目安です。

一方、最高峰は桁が違います。2023年1月、CNG のオークションでディオクレティアヌス帝の10アウレウス金メダリオン(294年鋳造、直径38mm・重量53.65g)が手数料込み232万7500米ドルで落札されています。

これらは執筆時点の目安であり、相場は変動します。

偽造への対策

古代コインには長い贋作の歴史があります。

**現存する贋作の多くは「鋳造(キャスト)」で作られています。**本物は熱した地金を2つの彫刻ダイのあいだで打刻して作られるため、両者には違いが出ます。

鋳造贋作の特徴として、表面が脆く不均一であること、気泡による凹みが残ること、外周に継ぎ目(鋳バリ)が見られることなどが挙げられています。

プロヴェナンスと輸出入規制

ここは古代コイン特有の重要論点です。

プロヴェナンス(来歴)の記録は近年ますます重視されています。しかし現実には、**過去500年の収集史のなかで来歴情報が残っている個体は「千枚に1枚未満」**とされます。

背景には、紛争地域からの盗掘・密輸品が資金源になっているとの懸念があります。

アメリカでは文化財実施法(CPIA)に基づき、16カ国のコインの輸入に制限がかけられています(2020年代時点)。

この問題を象徴するのが、2020年10月に約419万米ドル(手数料込み)で落札された「EID MAR」アウレウスです。当時の古代コイン最高額でしたが、2023年に出所の偽造が問題となり、押収のうえギリシャへ返還されました。

**最高の鑑定評価がついた最高額のコインが、来歴の問題で市場から消えたのです。**詳しくはアウレウス金貨の記事で扱っています。

参照すべきカタログ

略号対象オンライン版
RICローマ帝国貨(前31年〜後491年)OCRE
RRC共和政期(前300年頃〜前31年)CRRO
RPC属州発行貨(前44年〜後296/297年)RPC Online

RIC は1923年から1994年にかけて刊行された体系書です。そのデータは OCRE(米国貨幣学会とニューヨーク大学の共同プロジェクト)で無料公開されており、4万3千種以上の貨種を収録しています。

RRC はマイケル・クロフォードによる1974年の著作で、共和政貨種同定の基本文献です。

RPC はオックスフォード大学アシュモリアン博物館が運営し、2026年現在で7万1487種・43万点超を収録しています。

**いずれも無料で使えます。**購入検討時に貨種を特定する道具として、実用的です。アトリビューションもあわせてご覧ください。

どこから始めるか

最後に、具体的な入口を挙げておきます。

最初の1枚に向くもの

**セステルティウス**が最も勧めやすい選択肢です。理由は3つあります。

  1. 大きい — 直径34mm前後あり、手にしたときの存在感が違います
  2. 図像が読める — 面積が広いぶん、建築物や場面が具体的に描かれています
  3. 選択肢が広い — 皇帝と状態によって、価格帯に幅があります

デナリウスも入口として適しています。小ぶりですが、共和政期から帝政期まで発行期間が長く、集める楽しみがあります。

集め方の型

漫然と買うより、軸を決めたほうが理解が進みます。

十二皇帝を1枚ずつという集め方は、ローマ史をそのままたどれるため、初心者に特に向いています。

避けたほうがよいもの

まとめ

アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性により変動します。金銀相場の影響も受けますし、売却したいときにすぐ買い手がつくとは限りません。購入にあたっては、こうした点も踏まえてご判断ください。

個別のコインはコイン図鑑、専門用語は用語集から確認できます。

この分野の個別コイン解説

本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の購入を勧誘するものではありません。アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性などにより変動し、将来の価値を保証するものではありません。記載の価格は執筆時点のものです。購入の判断はご自身の責任でお願いします。

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