アントニニアヌス銀貨とは?二重デナリウスの正体
| 英語名 | Antoninianus |
|---|---|
| 発行地域 | ローマ帝国 |
| 時代 | 3世紀(西暦215年〜294年頃) |
| 素材 | 銀 |
この記事で分かること
- アントニニアヌス銀貨がいつ、誰の手で、なぜ発行されたのか
- 発行当初から末期までの銀含有率の変化と、その背景にある財政事情
- 放射冠(ほうしゃかん)など、見分けるためのデザイン上の特徴
- 「3世紀の危機」と呼ばれる時代のなかで、この銀貨が果たした役割
- コレクションとして手に取るときに押さえたい視点
アントニニアヌス銀貨とは何か
アントニニアヌスは、古代ローマで3世紀を中心に流通した銀貨です。しばしば「二重デナリウス」と呼ばれます。デナリウスとは、共和政の時代から使われてきたローマの基軸的な銀貨のことです(デナリウス)。
この銀貨を導入したのは、皇帝カラカラです。西暦215年ごろのことでした。額面はデナリウス2枚分と定められていましたが、地金に含まれる銀はデナリウス1枚半ほどしかありません。額面と地金の価値が最初から釣り合っていない——これがアントニニアヌスという貨幣の出発点でした。
「アントニニアヌス」という呼び名は、当時の正式名称ではありません。古代における正式な名は今も分かっておらず、カラカラの正式名マルクス・アウレリウス・アントニヌスにちなんで、後世の研究者がこう呼ぶようになったものです。ローマ貨幣全体の流れは古代ローマコインガイドでも解説していますので、あわせてご覧ください。
カラカラ帝が新しい貨幣を必要とした理由
カラカラ帝の時代は、軍事費がふくらみ、国庫が慢性的に不足していた時期でした。カラカラは兵士の給与を5割引き上げたと伝わり、その支出をまかなう財源が常に課題でした。全自由民にローマ市民権を与えた「アントニヌス勅令」も、課税の対象を広げる財政的な狙いがあったとされます。
こうしたなかで選ばれたのが、新しい額面をつくって流通量を増やす方法でした。既存のデナリウスの銀をこれ以上減らさずに、通貨の総量を増やせる——それがアントニニアヌス導入のねらいだったと考えられています。もっとも実際には、デナリウス自体の銀含有率もこの時期に引き下げられており、通貨の質は全体として下がっていきました。
デザインの特徴——放射冠と三日月
アントニニアヌスの見分け方で、まず注目したいのが皇帝の冠です。表面(オブバース)に描かれた皇帝は、光が放射状に伸びる放射冠(ほうしゃかん/ラディエイト・クラウン)をかぶっています。この冠が、その一枚の額面が2デナリウスであることを表していました。
カラカラ帝のアントニニアヌス(ANS 1944.100.51551、ローマ造幣、西暦215年)。表面の放射冠が二重額面の目印です。
皇后など女性の肖像の場合は、胸像の下に三日月をあしらう構図が用いられました。副帝(カエサル)は冠のない姿で描かれ、身分によって描き分けられていた点も特徴です。放射冠には太陽神ソル・インウィクトゥスを思わせる意匠という見方もありますが、コインの上では、額面が2デナリウスだと示す記号として機能していたと考えられます。
銀含有率はどう下がったか——50%から5%以下へ
この貨幣をたどるうえで欠かせないのが、どれだけ銀を含んでいたかという点です。発行が始まったころの銀含有率は、おおむね50%前後ありました。ところが財政難や政情不安が起きるたびに、その比率は段階的に切り下げられていきます。
ガリエヌス帝(在位253〜268年)のころには、銀含有率は5%を下回るまで落ち込みました。末期のものは、銅を主体とした地金の表面に、ごく薄く銀をかぶせた銀メッキの銅貨です。少し摩耗するだけで、すぐ下の銅色が現れました。発行から50〜60年ほどで、銀貨と呼ぶには実質を失っていったことになります。
それでも額面だけは維持されたため、銀を多く含む古い良質なコインは手元に貯め込まれ、質の劣る新しいコインばかりが出回りました。「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則(実質価値の高い貨幣ほど、退蔵されて市場から姿を消す傾向)が、そのまま当てはまる状況でした。
3世紀の危機とアントニニアヌスの終焉
短期間に皇帝が次々と入れ替わったこの混乱期は、「3世紀の危機」や軍人皇帝時代と呼ばれます。デナリウスの発行が細っていくなかで、アントニニアヌスはローマの主要な額面としての位置を占めるようになりました。ゴルディアヌス3世のころには、すでに流通の中心だったとされます。
この時代は、各地で自立した将軍や、帝位を奪おうとした簒奪者(さんだつしゃ)が相次ぎました。彼らはそれぞれ自分の肖像を刻んだアントニニアヌスを発行したため、現存する種類はとても多彩です。裏を返せば、一枚の銀含有率や肖像から、それが帝国のどの局面で作られたのかを読み取れるということでもあります。この額面は、ディオクレティアヌス帝が西暦294年に断行した貨幣改革で姿を消しました。導入から廃止まで、およそ80年にわたって発行が続いた計算です。
コレクションとして見る際のポイント
手ごろな価格帯のものが多いことから、アントニニアヌスは古代ローマコインを集めはじめる人に選ばれやすい分野です。銀を多く含む初期——カラカラ帝からセウェルス・アレクサンデル帝のころ——のものは状態による価格差が大きく、状態の良い個体は数万円台まで上がることもあります。一方、ガリエヌス帝以降のビロン(銀の含有量が低い合金)期のものは数千円台から見つかることも多く、最初の一枚として選びやすい範囲です。
海外の相場を見ると、状態の良い初期のものは150〜500ユーロ(およそ2万〜8万円)程度が中心です。中期のビロン製であれば、30〜120ユーロ(およそ5千〜2万円)程度が目安になります。
購入や鑑定のときに手がかりになるのが、コインの状態と来歴です。保存状態はグレーディング(等級付け)で表され、表面にはパティナ(経年でできる皮膜)が残ります。どこを経てきたかを示すプロヴェナンス(来歴)も、価値を左右する情報です。3世紀のアントニニアヌスは、まとまって埋められたホード(埋蔵貨幣群)として見つかる例も多く、その出土の背景が真贋や希少性を考える助けになります。銀の被膜は薄く摩耗しやすいため、未使用に近いミントステートの個体はとくに高く評価されがちです。
なお、ここで挙げた価格は執筆時点の一般的な傾向にすぎません。状態や希少性、そのときの市況によって大きく変わります。値上がりを保証するものではありませんので、投資として考える場合は、元本割れの可能性も含めて慎重に判断してください。
まとめ
ここまで見てきたように、アントニニアヌスはおよそ50%の銀を含む貨幣として始まり、50〜60年のうちに銀メッキの銅貨へと姿を変えました。カラカラ帝の財政事情から生まれ、3世紀の混乱のなかで主役となり、ディオクレティアヌス帝の改革とともに退場する——およそ80年の歩みは、それ自体がひとつの物語になっています。集めるうえでは、放射冠という見分けの目印と、発行時期ごとに大きく違う銀含有率が、そのまま楽しみどころになります。まずはデナリウスとの違いを押さえつつ、状態の良い一枚を探すところから始めてみてください。ローマ貨幣全体の見取り図は古代ローマコインガイドからたどれます。
本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の購入を勧誘するものではありません。アンティークコインの価格は市場動向・状態・希少性などにより変動し、将来の価値を保証するものではありません。記載の価格は執筆時点のものです。購入の判断はご自身の責任でお願いします。
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