プロブス帝アントニニアヌス銀貨を徹底解説
| 英語名 | Antoninianus of Probus |
|---|---|
| 発行地域 | ローマ帝国 |
| 時代 | 276年〜282年(プロブス帝治世) |
| 素材 | 銀 |
この記事で分かること
- プロブス帝とはどのような皇帝だったか
- アントニニアヌス銀貨が誕生してから劣化し、改革を経る流れ
- プロブス帝発行貨幣の図柄や銘文、造幣地の広がり
- 個体ごとの重量や直径の違い、コレクション市場での位置づけ
Antoninianus of Probus(American Numismatic Society (1974.203.36))
プロブス帝とはどんな皇帝か
プロブス帝は232年、現在のセルビアにあたるシルミウムで生まれました。父はダルマティウスとされますが、この時代の伝記史料である「ヒストリア・アウグスタ」は信頼性について議論があるとされ、細部は慎重に受け止める必要があります(この点は本文後段で改めて触れます)。プロブス帝は276年から282年にかけて皇帝の座にありました。この時代はいわゆる軍人皇帝時代と呼ばれ、プロブス帝もイリュリア系の出身者として即位した皇帝の一人です。
在位中はゴート族、アレマンニ族、フランク族など複数のゲルマン系部族と交戦しました。これらの戦いでの功績から「世界の修復者」を意味するRESTITVTOR ORBISという称号を得ています。また、ブドウ栽培をガリア、スペイン、ブリタニアに奨励したことでも知られています。ローマ帝国全体の政治や社会について詳しく知りたい方は、古代ローマ貨幣の総合ガイドもあわせてご覧ください。
アントニニアヌス銀貨の成り立ちと品質劣化
アントニニアヌスは215年、カラカラ帝によって導入された貨幣です。デナリウス貨の2倍の価値を持つ「二デナリウス」硬貨として設計されました。素材はビロン貨と呼ばれる銀と銅の合金で、直径はおよそ2.3センチメートルとされています。
導入当初は純銀に近い品位を保っていましたが、時代が下るにつれて銀の含有率は徐々に低下していきました。銀の含有比率はこちらの用語解説で詳しく説明していますが、270年頃には2.5パーセント未満まで劣化していたとされています。このような品質低下は、帝国財政の逼迫を反映していたと考えられます。
アウレリアヌス帝の通貨改革とプロブス貨への影響
劣化しきったアントニニアヌスを立て直すため、アウレリアヌス帝は274年に通貨改革を行いました。この改革では、銀と銅の比率を20対1とし、貨幣にXXIまたはギリシア語圏向けにKAという刻印を入れることが定められました。
改革後の理論上の銀含有率は約4.76パーセントとされ、実際の平均重量はおよそ3.93グラムに落ち着いたとされています。プロブス帝が発行した貨幣にもこのXXIやKAの刻印が確認できます。こうした刻印は造幣所や品質を示す重要な手がかりであり、造幣所刻印についての解説もあわせて参考にしてください。なお、アントニニアヌス自体は294年、ディオクレティアヌス帝によって廃止されることになります。
プロブス帝アントニニアヌスの図柄と銘文
プロブス帝の貨幣に見られる典型的な表面銘文は「IMP C M AVR PROBVS P F AVG」です。裏面には複数の銘文パターンが確認されており、CLEMENTIA TEMP、RESTITVTOR ORBIS、CONCORDIA MILITVM、SOLI INVICTOなどが代表的です。貨幣の表と裏の構成については表面と裏面の基礎知識も参考になります。
裏面図柄の中でも、太陽神ソルが四頭馬車を駆る意匠だけで300種類以上の異体が存在するとされています。これほど多様な図柄が生まれた背景には、広範な造幣地と長期にわたる発行が関係していると考えられます。
個体差・重量・直径のばらつき
プロブス帝のアントニニアヌスは、造幣地や鋳造年によって重量や直径にかなりの幅があります。たとえば、アンティオキアで280年頃に鋳造されたとされる個体(RIC V-2 925F)は重量3.938グラム、直径21.5ミリメートルです。一方、トリポリスで280年頃に鋳造されたとされる個体は重量3.254グラム、直径23.4ミリメートルとなっています。
ローマ造幣による278年から280年頃の個体はADVENTVS AVGの図柄を持ち、重量3.85グラム、直径24ミリメートルです。またシスキア鋳造の278年個体はCALLIOPE AVGの図柄で、重量4.67グラム、直径22ミリメートルとされています。こうした差異は、同じ皇帝の貨幣であっても造幣所ごとに管理基準が異なっていたことをうかがわせます。
造幣地の広がりとトリポリス造幣所
プロブス帝の貨幣は、ローマ、シスキア、セルディカ、アンティオキア、トリポリスなど非常に広い範囲の造幣所で鋳造されました。中でも現在のレバノンにあたるトリポリスの造幣所は、270年頃から286年頃までの短い期間のみ稼働していたとされています。
こうした造幣地の情報は貨幣の来歴を考える上で重要な手がかりとなります。来歴については来歴の基礎知識もあわせてご確認ください。
種類の多さとコレクション市場での位置づけ
プロブス帝の貨幣は種類の豊富さでも知られています。シア(2005年版)のカタログには245種類が記載されており、RIC(ローマ帝国貨幣目録)ではRIC 810の項目だけでも少なくとも80種の異体が確認されています。
オークション記録を集約するコインアーカイブスでは、執筆時点で1万9千件を超える取引記録が蓄積されているとされています。取引数の多さは、この貨幣が発行数の多い普及種であったことを示していると考えられます。発行数の考え方については発行数の用語解説も参考になります。
市場価格の面では、高品質な個体であっても50ドル未満で入手できる例が多いとされています。ただし貨幣の価値は状態評価によって大きく変動するため、状態を見極める際には状態評価の基礎知識を確認しておくとよいでしょう。なお、古代コインへの投資を検討する場合は、価格変動のリスクがある点に留意し、あくまで執筆時点の情報として参考にとどめることをおすすめします。
プロブス帝の最期
プロブス帝は282年9月、出身地に近いシルミウム近郊で自軍の兵士によって暗殺されました。暗殺の背景には、排水路工事といった非軍事的な労役に対する兵士たちの不満があったとされています。また、後継者となったカルスの反乱側に寝返った兵士によって討たれたとする説も伝えられています。
プロブス帝は死後に神格化され、354年に作成された年代記には「DIVVS PROBVS」と記載されています。プロブス帝の生涯を伝える主要な古代文献には前述のヒストリア・アウグスタがありますが、この文献は編纂の経緯や記述の正確さについて研究者の間で議論が続いており、内容をそのまま史実として扱うことには注意が必要とされています。
まとめ
プロブス帝のアントニニアヌスは、軍人皇帝時代の混乱と通貨改革の歴史を映す貨幣です。アウレリアヌス帝による改革後の銀比率や、広範な造幣地、多彩な図柄は、この時代特有の貨幣事情を物語っています。種類が豊富で入手しやすい個体も多いため、古代ローマ貨幣に関心を持つ入門者にとっても手に取りやすい存在といえるでしょう。
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